けけの海外駐在備忘録

私の海外駐在での備忘録です。私の中国語勉強のためのツールでもあります。

【私の海外駐在小話#1】辞令

こんにちは、けけです!!

 

このカテゴリーでは私の海外駐在に関わるお話を少しずつ書いていきます。

 

今回は「入社〜会社から海外駐在の辞令を受けるまで」についてです。

 

 

大学卒業~入社

私はとある地方国立大学を無事卒業し、その大学から近い街に本社を持つ製造業に入社しました。最初は東京での新入社員実習が3ヶ月ほど有り、その後は現在扱う製品とは少し異なる部署に配属となり、間接部門の人員としてキャリアをスタートしました。

 

同期には東大卒や京大卒もおり、なぜ自分がこの会社に入社できたのだろう?と疑問を持つことも。案の定入社後の英語力テストでは無事最下位を取っており、同期の中でも「お笑い担当」的な立ち位置にいました。

(笑われる、ではなく、笑いを取っていた、、、はずです。)

 

幸い、同期や先輩、上司に恵まれていたからか、2年目の終わりまでは可もなく不可もなくといった社会人人生を歩んでいたわけですが、転機は3年目に訪れました。現在の製品分野の部署に突然移動になったのです。

 

転機 -海外関連会社への出張-

それからは海外関連会社とのWeb会議に出席することも増え、移動後半年後には海外出張。人生で初めて海外に行ったのがこの時でした。ちなみにWeb会議に出席し始めたタイミングで上司からパスポートの取得指示があり、会社経費で10年タイプを取得。(そろそろ更新という事実に、時の流れの早さを改めて痛感しています)

 

生まれて初めての海外。飛行機は高校生の修学旅行で国内線に乗ったっきり。最初の海外旅行、、、もとい出張は散々なものではありましたが、異なる文化を知ることができ、一つ壁を超えたような気がしました。ただし、食事が全く合わなかったので、バッグにたくさん詰めたカロリーメイトばかりを食べて切り抜けた記憶があります。(あの時、「海外出張にはカロリーメイトを持っていった方がいいよ、、、」と死んだ目で言っていた先輩には今でも感謝しています)

 

海外出張後の私の変化(洗脳

さて、初めての海外出張を終えた私に少し変化が表れました。

「海外駐在」というものを意識し始めたのです。

 

出張先の関連会社には、自分のいる部署からの出向している先輩がおり、出張時に接する機会が非常に多かった為かもしれません。

「自分もいずれ海外駐在とかになるのかもな、、、」と考えるようになるのでした。

そんなことを頭の片隅に置きながら、私の3年目が終わり、4年目も海外出張を複数回経験することになります。

 

するとどうでしょう。海外カブれにどんどんなっていき、4年目の夏には中古のA○diに手を出した私がそこにはいました。6年ローン。その頃の私は「まあこのA○diもドイツでは大衆車だから別に大したことないよ〜」とかほざいてたとかなんとか。

 

洗脳後の私

話はそれましたが、その頃会社の社員研修など「キャリアプラン検討」などといった内容の研修がありました。

複数回の海外出張により無事洗脳が終わった私は、「3年後には海外関連会社の〇〇に駐在し、現地で活躍します。…etc」と研修の終わりに発表していた模様です。

(上司が私のキャリアを上手に設計してくれてたんだ、、、決して私が単純なわけではないはず、、、)

 

海外出張ラッシュが落ち着いた頃、昇進試験が待っていましたが、この面接でも「私は今の職場で3〜4年経験を積んだのち、海外(以下略)」と自信満々で話して無事昇進。年末には部署を代表して社長や役員の前でプレゼンをする機会も与えられ、無事切り抜けるのでした。

 

運命の辞令

社長プレゼンが終わった翌週、定時が過ぎて少し残業をしていたところ、上司が「ちょっと良いかい?」と私を会議室に呼びました。

私は「あ、もしかして社長プレゼンで何か失礼があったかな、怒られるかな、、、」と思って会議室で待っていたら、上司が本部長を引き連れて会議室に入ってきて、ただならぬ雰囲気を察しました。

 

本部長直々にお叱りになるのか、、、何が印象悪かったんだろうか、などと思いながら、本部長が席に座ると、開口一番。

 

「”けけ“さん。あなたには●●プロジェクトのリーダー的な役割として、□□□(海外子会社名)に出向することを内示します。よろしいですか。」

 

 

買ったばかりのA○di。残っているローン。拒否できそうにない内示。果たして”けけ“はこれらの問題をどのように切り抜けるのか!?

(まあ結局海外駐在するんですけど、それは次回ですね)

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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